アルシンド ヤンチャ伝説が凄すぎた!アデランスCM!現在の姿は?

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アルシンド ヤンチャ伝説が話題となっています。

サッカーJリーグ鹿島アントラーズで活躍したアルシンド選手のヤンチャ伝説が報道した記事が話題になってうるようです。

個性的な髪形が印象的なサッカー選手でしたね。

アルシンドってヤンチャだったの?

今回の記事では「アルシンド ヤンチャ伝説」についてお届けします。

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アルシンド ヤンチャ伝説の詳細記事


Jリーグの設立初期に鹿島アントラーズで活躍したアルシンド選手のヤンチャ伝説の記事が反響を呼んでいます。

まずは「アルシンド ヤンチャ伝説」について報道された記事を見てみましょう。

1996年、北海道初のプロチーム「コンサドーレ札幌」が誕生した。JFLからスタートし、4度の降格も経てJ1定着を果たした今年だが、新型コロナウイルスの影響で公式戦再開のめどは立っていない。試合が見られない今、「ほっかいどう報知」では「コンサドーレ 証言録」と題し、当時プレーした選手の言葉を元に、当時の様子を各年ごとに振り返っていく。1回目はクラブの第1号ゴールを決めた本紙評論家の吉原宏太氏(42)が、創設年の記憶を思い返し、語った。(構成・砂田 秀人)

96年1月、札幌の前身となるJFL東芝(川崎市)の移転プロ化が発表された。その際に獲得したのが、全国高校選手権で8得点を挙げ得点王に輝いた、和歌山・初芝橋本高3年の吉原だった。

吉原氏 「選手権後にアルゼンチン留学に行くことが決まってた。それがあれよあれよという間にスカウトされて。富士通川崎からもオファーが来てたんだけど、周囲には南米に行くと言ってたし、せめて海は越えたいなと北海道を選んだ(笑)。新しいチームの方が面白いし、インパクトもあるなと思い決断した」

選んだ新設クラブは東芝の社員選手とプロが混在する【注】、異例の形で船出した。

吉原氏 「全部で40人以上いて、選手のレベル差もあった。プロの後藤(義一)さんだったりはトラップとか基本技術がすごくて。それを見て、地味だがこういうことが選手としての差になっていくんだと、練習に没頭した。社員の人たちは人間としていい手本になった。僕は幸せなことに最初から注目されて、北海道のテレビ局をはしごして出演してた。そんな中、川合(孝治)さんだったりに礼儀や挨拶を教わって、本当に勉強になった。社員の人がいなかったらもっと調子に乗っていたかもしれない。不思議な形の1年だったが、めちゃくちゃいい経験になった」

忘れられない選手がいる。鹿島、V川崎(現J2東京V)と3年間で69得点を挙げたFWアルシンドが、開幕時はチームにいた。ただ第2節の富士通川崎戦で審判に「バカ」と15連発し、4試合の出場停止に。再び退場となった6月9日の第9節大塚戦まで、わずか5試合出場でチームを去った。

吉原氏 「上手いし速いし、レベルが超絶違った。彼を見て、あれこれするよりも裏に抜け出すとか、自分のできることに磨きをかけていこうと思った。ただ本当にヤンチャで。スピード違反してもポルトガル語でまくしたてて『友達なら当たり前』って言って許してもらってた。選手としては本当にすごいのに何でうちに来たんだろって思ってたけど、9試合目でそれは分かりましたわ」

1年目の札幌は中盤に6連勝するなどしたが、5位でシーズンを終えた。

吉原氏 「シンプルに縦に速くというのがこの年のスタイル。その中で守備陣にとって大きな存在だったペレイラが、第20節の本田技研戦で左顔面を骨折して。次の試合で神戸に1―5でやられて上位は厳しくなった。あのけがが痛かった。あの年はライバルも少なかったので、チームとしてまとまれれば優勝できる力はあった。ただ『1年で帰って来い』と言われていた社員の選手は微妙な気持ちの中でやっていたと思うし、練習も2チームに分けていたから、今の札幌と比べるとバラバラな感じで、難しさは感じてた。終わってみて、このチームをもっと強くしたい、どうやったら上でやれるようになるんだろうと痛感した年でした」

【注】東芝(川崎市)の社員だった選手は、札幌移転の際、96年末までの出向という形でコンサドーレに加入した。そのためシーズン後、会社に戻る者のほか、浅沼がプロとしての札幌残留を決断。川合、木島らがJFL大分に移籍するなどした。

◆1996年の出来事

▽2月10日 積丹半島の豊浜トンネルが崩落。

▽5月31日 02年サッカーW杯の日韓共同開催が決定。

▽7月 病原性大腸菌O157が集団感染。

▽8月4日 アトランタ夏季五輪が閉幕、日本は金3、銀6、銅5個のメダルを獲得。

▽10月6日 長嶋巨人が最大11・5ゲームを逆転する「メークドラマ」でセ・リーグ制覇。

▽11月23日 携帯ゲーム「たまごっち」が発売、大ブームに。

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アルシンド 伝説のCM

アルシンド選手と言えばやっぱり独特な髪形でアデランスのCMが当時話題になりましたね。

アルシンド選手の伝説のCMを見てみましょう。

 

 

 

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アルシンド 現在の姿

アルシンド選手の現在の姿を見てみましょう。

 

 

こちらはなんと鹿島入りした息子さんとの親子ショット

 

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アルシンド ヤンチャ伝説のネットの反応は?

アルシンド ヤンチャ伝説についてネットのコメントを見て見ましょう。

ヴェルディに移籍して、鹿島スタジアムに凱旋した時のブーイングの凄さは今でも覚えている。よくボールを持つ度にって表現するけどボールを持たなくてもブーイングされていて、ボールを持つ度にブーイングが更に大きくなるって感じだった。
ヴェルディ退団の理由も金銭面で合意しなかったというからその辺りはやはりプロフェッショナルだったんでしょう。
一方で震災の時に東北に来てくれて「遠くまで来てくれてごめんね」と言う小笠原に対して「友達なら当たり前」と言ってくれる人でもある。
元々東芝は、旧JSLの末期にJSL1部の上位に入りだして、優勝目前と言われたいた。そのため、当然Jリーグ入りを希望すると思われていたが、東芝はプロ化に消極的でアマのままで存続するのを表明して、新たにできたアマと将来のJリーグ入りを目指すプロが混在する、JFLに参加した。この時、絶対直ぐにプロになりたかったエースのFW向島建氏は地元の清水エスパルスに移籍した。その後も、川崎市は度々東芝にプロ化を促したが状況は変わらなかった。既に川崎には、ヴェルディ川崎がいたがこれはJリーグ創設時にしばらくは東京をクラブタウンにするクラブ置かないJリーグの方針での暫定的措置だった。後のフロンターレの富士通川崎も、いずれは東芝は川崎でプロ化すると考え、工場の有った栃木県小山市への移転も考えていた。結果的には、アマでも全国リーグ参加に負担がかかる為、撤退を考え将来的な移管込みで、札幌に移転した。
アルシンドは確か髪のコマーシャルにも出てましたよね(笑)。リーグ発足時間もなくのアルシンド旋風は、サッカーファンでなくも記憶に強く残ってます。新聞をかなり賑わせていたし。スポーツ新聞の一面をかなり持っていっていた印象です。
アルシンドは当初はジーコがブラジルで燻ってる無名の若手を連れてきたぐらいに思ってたけど。
実はブラジルユース代表でワールドユースにも出てるエリートだったのを後に知った。
ザ点取りやだよね。
ジーコが連れてくる選手は
ほぼほぼ活躍するよね
新潟の、スカウトマンもレオを始め
いい眼してるよね
吉原は選手権で活躍したね。
アルシンドは鹿島時代一番良かったですね。
札幌加入時にお金の問題じゃないんだ!と力説してたけど、あんたヴェルディ行ったのお金じゃなかったっけ?って思った記憶があるw
もちろんプロなら当然だし、その後イゴールが加入したあたり鹿島への思いは特別なものだろうけどね。
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アルシンド ヤンチャ伝説のおわりに

今回の記事では「アルシンド ヤンチャ伝説」についてお届けいたしました。

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